頑張り過ぎをやめるのはなぜ難しいのか?

こんにちは、心理療法家&講師のふるたてひろこです。

 

うちにみえるクライエントの方々は、「頑張り屋さん」が多いように思います。

 

ご本人はそう自覚していないことが多いのですが、他社目線で見たらそうよね、という方が大多数です。

 

私自身もかつては大変な頑張り屋した。

 

なにせ10年前に会社を辞めるまでは、

 

フルタイムワークと3人の子育てを「人生は気合だ!」と呪文のようにつぶやきながら日々を乗り切っていました。

 

で、その頃の私が自分を「頑張り屋」だと自覚していたか?

 

と言うと、していませんでしたね。

 

そう、多くの頑張り屋の人達は、無自覚です。

なぜなら、頑張ることが「当たり前」だから。

「頑張ることが当たり前」ということを言い換えると、

「頑張らないではいられない」

ということで、

 

ある意味、頑張っている方が頑張らないよりも自然だ、ということです。

 

たとえ「頑張ることの苦しさ」を感じてといたとしても、です。

 

この時、「頑張ることの苦しさ」を意識で感じ、

 

「頑張る方が自然」

が無意識下にあると、

 

「頑張るのをやめたいのにやめられない」というジレンマが起こります。

 

このことを私は、昔整体の先生が言っていた言葉と重ねて理解しています。

 

「悪い姿勢の人がいるとする。例えば背中が丸まってる。その人に『姿勢が悪いよ。ちゃんとしよう。』と促すと、気合いで胸張ってちゃんとしようとするけど、疲れちゃってもたない。すぐ戻っちゃう。それはなんてだと思う?」

 

「それは、既にその人の体が歪んでいたりして、その歪んだ体なりに一番楽な姿勢を取ってるの。それが背中を丸めた悪い姿勢だとしても、の人の現状の体にとっては一番楽で自然な最善の姿勢なんだ。だから気合いでちゃんとしようとしても、しんどくなってもたないのね。」

 

「だから姿勢を良くしたかったら、ます先に体の歪みを取る。そしたら良い姿勢が無理なく。心地よくなるから、ちゃんとしようとなんかしなくても、自然に良い姿勢になる。」

 

整体の先生のお話は、そのまま心にも当てはまります。

 

「頑張り過ぎる」ことであれ、何であれ、

今の自分が取っている態度は、

 

現状の自分にとって一番自然な態度。

 

だから、それを変えたいときには、

 

「気合い」

では何ともならないことまあるのです。

 

「頑張り過ぎてしまう」原因となる心を置き去りにしたまま、

 

気合いで「頑張らないこと」を目指すと、

 

「頑張らない私になるように頑張る」みたいなおかしなことになります。

 

「頑張り過ぎる必要はない」

 

「頑張りたいときには頑張り、頑張りたくないときには頑張らない」

 

が自然になるといいわけです。

 

今日も最後までお読みくださってありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

言い換えるならば、「」