プロフィール

こんにちは。
内なる子供を癒してとらわれの人生からの脱出!
インナーチャイルドセラピストの ふるたてひろこ です。
ふるたてひろこ
■プロフィール略歴
早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。
大学卒業後18年間IT企業にて技術職・管理職として勤務。
その傍ら、三児の母となる。
フルタイムワーキングマザーとして会社勤務を続ける中で、産休・育休取得による不利益扱いなど数々の困難を経験。
また長男の広汎性発達障害の疑いなどから子供と向き合う時間を十分に取ることがどうしても必要となり、勤務時間の長いIT業界で働き続けることに限界を感じる。
女性が仕事と子育てをどちらも諦めることなく存分に楽しむワークライフバランスを考え抜いた結果、長年続けてきた心の学びと経験を生かし2010年カウンセラーとして独立。
同じように仕事や子育てに悩みながらもイキイキと輝きたいと願う女性を支援するため、心理セラピー・セラピスト養成講座・セラピスト向けビジネス支援レッスンなどを行っている。
人生の生きづらさの根本原因を、幼少期の体験と感情が未解決のまま心の中に残っていることに探るインナーチャイルドセラピーを中心とした手法で、人生の問題解決を心理面からサポートする。
(実績)
カウンセリング・セラピー 述べ2280人
心理セラピスト養成 述べ355人
■プロフィール詳細
もくじ
幼少期~学童期(内向的、絵に描いたような優等生)
池袋の町の美容室のひとり娘として生まれました。
内向的でおとなしく、読書や一人遊び・室内遊びが大好きな女の子。
たまに近所の公園に遊びに行っても、人がいると帰ってきてしまうほど。
そんな消極性を母は少々心配には思っていたようですが、それ以外の面では、言われなくても勉強する、成績は極めて優秀な絵に描いたような優等生。
「どうしたらあんな子供を育てられるのか教えてほしい」
と同級生のお母さんから言われた、というのが母の自慢でした。
学校では、成績優秀過ぎて周囲から浮いてしまう、友達とあまり馴染めない、ちょっと暗い子供でした。
そんな私の子供時代は、内向的すぎることを除けば、誰の目から見ても、そう、自分自身でさえも、何の問題もないように思えました。
大学時代~就職
順調に大学に進学した後は、サークルの良き仲間に出会ったことをきっかけに、急に明るく、楽しい大学生生活を送ります。
早稲田大学では仏文科に在籍。
しかし、なぜか就職はIT企業の技術職。
意外な就職先に周囲をあっと驚かせました。
順風満帆の会社員20代
IT業界には18年間勤務、途中1回、キャリアアップのための転職をしました。
現場の技術者から管理職まで、キャリアを積み上げながら、仕事に生きがいと誇りを持って働いていました。
3度の出産と会社員生活の両立
その傍ら、32歳、35歳、37歳で出産し、三児の母となりました。
当時の私の頭の中には、「働くこと=会社に勤めること」しかなかったので、子供が3人になっても、とにかく必死で仕事と子育てとの両立を図りました。
やがて困難、産休拒否も
最初のうちはうまく行っていた両立も、徐々に陰りを見せ始めます。
第三子の産休を取得するときには、一度は産休拒否に遭遇。
それでも、と粘り、産休・育休後職場復帰を果たします。
復帰時には、降格・減俸・配置転換といった不利益扱いなどが重なり、精神的にも大きなダメージを受けますが、それでも、と必死に働き続けることを選択。
しかし、このことがきっかけとなり、「一生この職場にいる自分は想像できない」と思うようになります。
長男の学校不適応を機に働き方を考える
そんな矢先、小学校に入学した長男が学校に適応できず、広汎性発達障害の疑いが浮上。
子供と向き合う時間を今まで以上に十分に取ることを余儀なくされた結果、私は「働き方を変えよう」を思うに至ります。
長らく会社員にこだわりつづけて来た私でしたが、ようやく、考え方に変化が訪れたのです。
人生を通じて、変化してゆく女性のライフスタイルに合わせた、もっと別の働き方があるのではないか?という考え方に。
独立起業という生き方
3人の子供を持って、再びどこか別の会社に再就職するということは考えませんでした。
独立起業というスタイルで、いったい私に何が出来るのか?
それまでやって来たIT技術を使った職業はもう選択肢から外れていました。
一生出来る仕事ではない、と思ったからです。
考えるうちに浮上してきた思い。
それは、「人の相談に乗る仕事」でした。
そしてカウンセリングスクールへ
会社との労働トラブルが起きた時、長男の学校不適応で悩んだ時、私は様々な相談機関に足を運びました。
ひとりで壁にぶち当たり、困り果てた時、その道の専門家に相談することで、適切な情報が得られたり、新しい視点や対処法を得ることで、確実に問題は解決し、前に進むことが出来ました。
たくさんの困難を経験しましたが、その都度、専門家の知恵を借りて乗り切って来たのです。
私も、そんな風に、誰かの助けになれたらいいなと思いました。
そこで、カウンセリングスクールに通うことを決めました。
会社員をしながら、週に1回スクールに通い、将来に備えようと思いました。
40歳の時のことです。
新たな転機となる事件勃発(神様の強制執行)
入校を決めた2ヶ月後、大事件が起こります。
「残業が出来ないのなら、翌月から給料を半額にする」と申し渡されたのです。
残業が出来ないのは第3子出産後の復帰時の条件でしたし、何を今更という感じ。
明らかに私を辞めさせたいがための口実でした。
けれど、私自身ももう会社への愛着もなく、ただ目先の安定した給料を捨てるのが怖いだけの臆病な気持ちで、ズルズルとい続けた結果であることも分かっていました。
そう、そのあまりにも唐突な、通常起こりえないような出来事は、神様からの、強制執行のように思えました。
「もうそこはあなたのいる場所ではありません、先に進みなさい。」と。
そして新たな道へ(カウンセラーとしての出発)
そこで、退職条件を合意出来るものに整えるための交渉を経て、私は退職を選びました。
カウンセリングスクールに通い始めて2ヶ月の時でした。
こうして退職した私は、カウンセラーとして開業することに向けて気持ちを一気に切り替えることが出来ました。
心理学は、大学時代に専攻しようかと迷った程、昔から興味のあった分野でしたから、夢中で学ぶことも楽しくて仕方ありませんでした。
そして10ヶ月後、カウンセリングスクール卒業とともに、私はカウンセラーとしての道を歩き始めました。
最初こそ、本当にやってゆけるのだろうか?と不安はあったものの、まるで見えない何かに背中を押されるかのように、どんどん追い風に乗って進んで来ました。
あんなに会社を辞めるのが怖かったのが馬鹿らしいくらいに、仕事も順調に回り始めました。
会社にしがみつき続けた数年間、頑張れば頑張る程うまく行かなかったのに、がむしゃらに頑張るのをやめたら人生が好転し始めました。
経験からの気づき(人の悩みの根底にあるものは・・・)
この道でいいんだ!
そう確信を深めながら
たくさんの方々のカウンセリングを続けるうちに気づかされたこと。
それは、どうやら多くの悩みの根底には共通したものがあるということ。
そこでインナーチャイルドセラピーを学び、人の悩みや生きづらさの根底には、幼少期の体験とそれにまつわる感情が色濃く影響を与えていると確信するに至りました。
インナーチャイルドの癒しと私の人生
インナーチャイルドを癒すことで、人生が変わる人々をたくさん見ました。
すると次第に、
どんどん自分のインナーチャイルドにも辿り着いて行ったのです。
自分が
どうしてあんなにも内向的で人に馴染めない子供だったのか?
どうしてなんあにも優等生であり続けたのか?
成人してから随分と社交性は身につけたようでいて、実は根底に残っていたインナーチャイルドの傷が自分の人生にどのような影響を与えていたのか?
どうして何の問題もなさそうな家庭に育ちながら私がそのような傷を抱えたのか?
様々なことがスルスルと紐解かれてゆきました。
そして更なる自由へ
すると、もう十分にうまく行っていて、
特に何の問題もないかのように見えた私の人生が、更に自由で軽やかになりました。
これまで、
インナーチャイルドの傷を隠すために、どれだけの無駄な力が使われていて、それが私の人生を重く、小さくさせていたかを知りました。
今私は、本当に自由で、とらわれのない人生の喜びを感じています。
これからの道
これからは、過去の私のように、
人生を頑張って頑張って、限界を超えても頑張って生きることしか出来ない女性が、もっと楽に、力を抜いて、とらわれなく自由に生きてゆくためのお手伝いをしたいと思います。
とらわれから解放されると、余分なちからが抜けるので、生きるのが圧倒的に楽になるのです。
そんなに頑張らなくても、仕事や子育てや、自分のやりたいことを、全部楽しんで生きられる道があるのです。
インナーチャイルドセラピーを通じて、あなたがとらわれの人生から脱出するお手伝いが出来たら、こんな嬉しいことはありません。