プロフィール

ふるたてひろこ

 

セラピールームオワゾブルー代表
公認心理師・心理療法家・心理学講師

■活動実績
カウンセラー歴15年/個人相談者数:6500人/セミナー参加者数:3200人/セラピスト養成数1050人

20を超える各種心理学・心理セラピーの学びを経て、
独自の統合的アプローチとして
~囚われの人生からの脱出!もっと自由に生きるためのセラピー~
「命のちから心理セラピー®️ 」を実践。

■メディア実績
2010年7月、10月、2011年10月FMサルース出演
2010年10月号隔月刊セラピスト掲載

⬛︎略歴
早稲田大学第一文学部卒業。
IT企業で18年間システムエンジニアとして勤務。
技術職兼中間管理職を経験した。
会社勤めをしながら三人の子育てをする中で、
時間的・精神的余裕のなさに加えて、産休取得にまつわる
様々な冷遇(産休拒否・配置転換・降格・減俸)が重なり、
子育てとの両立のためには働き方を変える必要があると実感。
2010年4月に心理カウンセラーとして活動を開始。
セラピールームオワゾブルー開設。
2021年公認心理師登録。

活動初期は、「仕事も子育ても120%楽しむ女性の生き方研究所」を
コンセプトに、女性が自分のしたいことを諦めないために、
もっと肩の力を抜いて生きるための支援を行ってきた。

近年は自身の幼少期の逆境的体験を紐解き、乗り越えた経験と
これまでのカウンセリング経験から得た知見を元に、相談者が無自覚なままに今も強く
囚われている幼少期の体験による影響を解き放ち、自由に生きる選択が
出来るようになる支援をしている。

セラピー手法は、特定の療法に固定せず、相談者の状態に応じて、最も適した
方法を採用する統合的アプローチを取る。

20を超える心理療法の学びを統合したこのスタイルは、
「命のちから心理セラピー®️」と名付け、個人セッションの他、グループ連続講座も
行っている。

自分で自分の心を映し出す鏡のような道具としての
インナーチャイルドカードのセラピューティックな使い方も伝えている。

⬛︎プライベート
夫と3人の子供(大学生と高校生の男女男)と5人暮らし。

 

 

ふるたて家族

 

■プロフィール詳細

幼少期~学童期~高校生(内向的、絵に描いたような優等生、謎の時代)

 

池袋の町の美容室のひとり娘として生まれました。

内向的でおとなしく、読書や一人遊び・室内遊びが大好きな女の子。

どれくらい内向的か?と言うと・・・
たまに近所の公園に遊びに行っても、人がいると帰ってきてしまうほど。

ひとりっ子なので家には遊び相手はいないのに、
自分から友達を誘って遊ぶということもせず、

小学生の頃に流行ったゴム飛びは、
電柱とゴミ用のポリバケツの間にゴムを張ってひとりで飛んで遊んでいました。

子供

 

学校では真面目に勉強をよくする優等生。
先生からは評価されることが多かったと思いますが、
同年代の友達とは何となくなじむのが大変で、苦労していました。

自分は「ひとりが好き」と思っていたのですが、
一方で「人から寂しそうと思われたくない」と強く思っていました。

なのでクラス替えの度に、とにかくひとりぼっちと思われないように
一緒に行動できる友達を2人作ることを自分に課していた記憶があります。

なぜ2人かと言えば、ひとりが休んでも大丈夫だから!
何と戦略的な小学生なのでしょうか!?

「ひとりで寂しそう」と思われては絶対にいけなかったのです。
不思議な心理ですが、長い年月の後に、この謎は解けることになります。

この強迫的な感じは高校生まで続きます。

だから正直なところ、高校生までの私の記憶というか
自分の幼少期のイメージは、思い出そうとすると位グレーなぼんやりとした印象で
あまり楽しいものではありません。

よく「子供の頃はよかったなぁ」とか「子供の頃に戻りたい」とかいうセリフ、
ありますが、こと自分に関しては、まったくそんなことは思いません。

けれど心理セラピストになるまで、自分では
この時代の自分に一体何が起きていたのか・まるで理解していませんでした。

そもそもあまりはっきりとした記憶がなく、
あったとしても場面場面の断片的な記憶ばかりなことと、
その時自分がどんな気持ちだったか?などをあまり覚えていないのです。

そういうこともあって、恐らく私の幼少期を語る言葉は、
母から聞かされた話で出来ていた部分もおおかったと思います。

母の言葉は、たとえば、

・「そこで座って待っていてね」と言えば、何時間でもそこにじっとしている子だった
・言われなくても勉強する、成績は極めて優秀な絵に描いたような優等生。
・「どうしたらあんな子供を育てられるのか教えてほしい」と同級生のお母さんから言われた

というようなこと。
これらはすべて母の自慢だったようで、何度も繰り返し聞かされました。

そんなこともあって、
自分はごくごく普通の家庭に生まれ育って、
良心の愛情も十分に受けて、何不自由なく育った、というのが
私が自分の幼少期を語るときの言葉でした。

だから、その言葉と「暗いグレーな印象」が一致しなくて、
ずっと謎だったのです。

何度も繰り返しになりますが、その謎が解かれるのは私がセラピストになって
5年程も経った後のことになります。

 

大学時代~就職

 

順調に大学に進学した後は、サークルの良き仲間に出会ったことをきっかけに、急に明るく、楽しい大学生生活を送ります。
早稲田大学では仏文科に在籍。

しかし、なぜか就職はIT企業の技術職。
意外な就職先に周囲をあっと驚かせました。

 

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順風満帆の会社員20代

 

IT業界には18年間勤務、途中1回、キャリアアップのための転職をしました。

現場の技術者から管理職まで、キャリアを積み上げながら、仕事に生きがいと誇りを持って働いていました。

 

ガッツポーズ

 

3度の出産と会社員生活の両立

その傍ら、32歳、35歳、37歳で出産し、三児の母となりました。

当時の私の頭の中には、「働くこと=会社に勤めること」しかなかったので、子供が3人になっても、とにかく必死で仕事と子育てとの両立を図りました。

 

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やがて困難、産休拒否も

 

最初のうちはうまく行っていた両立も、徐々に陰りを見せ始めます。
第三子の産休を取得するときには、一度は産休拒否に遭遇。
それでも、と粘り、産休・育休後職場復帰を果たします。

復帰時には、降格・減俸・配置転換といった不利益扱いなどが重なり、精神的にも大きなダメージを受けますが、それでも、と必死に働き続けることを選択。

しかし、このことがきっかけとなり、「一生この職場にいる自分は想像できない」と思うようになります。

 

悩む

 

長男の学校不適応を機に働き方を考える

 

そんな矢先、小学校に入学した長男が学校に適応できず、広汎性発達障害の疑いが浮上。
子供と向き合う時間を今まで以上に十分に取ることを余儀なくされた結果、私は「働き方を変えよう」を思うに至ります。

長らく会社員にこだわりつづけて来た私でしたが、ようやく、考え方に変化が訪れたのです。
人生を通じて、変化してゆく女性のライフスタイルに合わせた、もっと別の働き方があるのではないか?という考え方に。

 

独立起業という生き方

 

3人の子供を持って、再びどこか別の会社に再就職するということは考えませんでした。
独立起業というスタイルで、いったい私に何が出来るのか?

それまでやって来たIT技術を使った職業はもう選択肢から外れていました。
一生出来る仕事ではない、と思ったからです。

考えるうちに浮上してきた思い。
それは、「人の相談に乗る仕事」でした。

 

そしてカウンセリングスクールへ

 

会社との労働トラブルが起きた時、長男の学校不適応で悩んだ時、私は様々な相談機関に足を運びました。

ひとりで壁にぶち当たり、困り果てた時、その道の専門家に相談することで、適切な情報が得られたり、新しい視点や対処法を得ることで、確実に問題は解決し、前に進むことが出来ました。

たくさんの困難を経験しましたが、その都度、専門家の知恵を借りて乗り切って来たのです。

私も、そんな風に、誰かの助けになれたらいいなと思いました。

そこで、カウンセリングスクールに通うことを決めました。
会社員をしながら、週に1回スクールに通い、将来に備えようと思いました。
40歳の時のことです。

 

新たな転機となる事件勃発(神様の強制執行)

 

入校を決めた2ヶ月後、大事件が起こります。
「残業が出来ないのなら、翌月から給料を半額にする」と申し渡されたのです。
残業が出来ないのは第3子出産後の復帰時の条件でしたし、何を今更という感じ。
明らかに私を辞めさせたいがための口実でした。

けれど、私自身ももう会社への愛着もなく、ただ目先の安定した給料を捨てるのが怖いだけの臆病な気持ちで、ズルズルとい続けた結果であることも分かっていました。

そう、そのあまりにも唐突な、通常起こりえないような出来事は、神様からの、強制執行のように思えました。
「もうそこはあなたのいる場所ではありません、先に進みなさい。」と。

 

そして新たな道へ(カウンセラーとしての出発)

 

希望

 

そこで、退職条件を合意出来るものに整えるための交渉を経て、私は退職を選びました。
カウンセリングスクールに通い始めて2ヶ月の時でした。

 

こうして退職した私は、カウンセラーとして開業することに向けて気持ちを一気に切り替えることが出来ました。
心理学は、大学時代に専攻しようかと迷った程、昔から興味のあった分野でしたから、夢中で学ぶことも楽しくて仕方ありませんでした。

そして10ヶ月後、カウンセリングスクール卒業とともに、私はカウンセラーとしての道を歩き始めました。

最初こそ、本当にやってゆけるのだろうか?と不安はあったものの、まるで見えない何かに背中を押されるかのように、どんどん追い風に乗って進んで来ました。

あんなに会社を辞めるのが怖かったのが馬鹿らしいくらいに、仕事も順調に回り始めました。
会社にしがみつき続けた数年間、頑張れば頑張る程うまく行かなかったのに、がむしゃらに頑張るのをやめたら人生が好転し始めました。

 

経験からの気づき(人の悩みの根底にあるものは・・・)

 

この道でいいんだ!
そう確信を深めながら

たくさんの方々のカウンセリングを続けるうちに気づかされたこと。

それは、どうやら多くの悩みの根底には共通したものがあるということ。

そこでインナーチャイルドセラピーを学び、人の悩みや生きづらさの根底には、幼少期の体験とそれにまつわる感情が色濃く影響を与えていると確信するに至りました。

 

インナーチャイルドの癒しと私の人生

 

四つ葉

 

インナーチャイルドを癒すことで、人生が変わる人々をたくさん見ました。

すると次第に、

どんどん自分のインナーチャイルドにも辿り着いて行ったのです。

 

自分が

どうしてあんなにも内向的で人に馴染めない子供だったのか?

どうしてなんあにも優等生であり続けたのか?

 

成人してから随分と社交性は身につけたようでいて、実は根底に残っていたインナーチャイルドの傷が自分の人生にどのような影響を与えていたのか?

 

どうして何の問題もなさそうな家庭に育ちながら私がそのような傷を抱えたのか?

 

様々なことがスルスルと紐解かれてゆきました。

 

そして更なる自由へ

 

すると、もう十分にうまく行っていて、

特に何の問題もないかのように見えた私の人生が、更に自由で軽やかになりました。

 

これまで、

インナーチャイルドの傷を隠すために、どれだけの無駄な力が使われていて、それが私の人生を重く、小さくさせていたかを知りました。

 

今私は、本当に自由で、とらわれのない人生の喜びを感じています。

 

飛躍

 

これからの道

 

これからは、過去の私のように、
人生を頑張って頑張って、限界を超えても頑張って生きることしか出来ない女性が、もっと楽に、力を抜いて、とらわれなく自由に生きてゆくためのお手伝いをしたいと思います。

とらわれから解放されると、余分なちからが抜けるので、生きるのが圧倒的に楽になるのです。

そんなに頑張らなくても、仕事や子育てや、自分のやりたいことを、全部楽しんで生きられる道があるのです。

インナーチャイルドセラピーを通じて、あなたがとらわれの人生から脱出するお手伝いが出来たら、こんな嬉しいことはありません。