満たされなかったものにはずっとこだわる

内なる子供を癒して、とらわれの人生からの脱出!インナーチャイルド心理セラピストの ふるたてひろこ です。

 

毎年お盆とお正月には、夫の実家の群馬に帰省します。

その時、たまにですが私の仕事の都合などで、

夫と子供が一足先に帰省して、私が1日遅れて行ったり、

あるいはその逆で私が一足先に帰ってきたりすることがあります。

 

こういう「ひとりきりで生活」できるチャンス(笑)が巡ってくると、

私、すごく嬉しいです。
生活と言っても、たった一晩なので、

別に何をするわけでもないのですが、なんだかとてつもない解放感を感じるのです。

 

こんなことを書いたり言ったりしていると、人からは
「日頃家族と一緒にいるのがよほど気詰まりなのかしら?」
とか
「仲のいい家族がいるのにひとりがいいなんて贅沢な!」
とか思われるかもしれませんね。

 

私も贅沢な、とは自分で思います。

でも日頃家族といるのがそんなに気詰まりなのか?と言われればそんなことはありません。
当たり前の気遣いはしているつもりですが、

結構好き勝手に振舞っています(笑)し、何より家族が大好きです。

 

では、私のこの「おひとりさま生活への強い憧れ」はどこから来ているのか?
と思ったときに、思い出したことがります。

 

ああ、そこね・・・。
と自分でも納得したので書いてみます。

 

私はひとりっ子で、両親と3人暮らしでした。
生まれた家も、

20歳のときに一度移り住んだ家も、

とても狭い借家で、
四畳半+六畳間にダイニングのつかない台所といった間取り。

 

まあ昭和後半の時代としてはそんなに珍しくはないけれど、

そんな狭い家に親子3人で暮らしていました。

 

当然、自分の個室などあるはずもなく、

大学時代は親がガーガー大いびきをがいて寝ている枕元で

ボーイフレンドと長電話をするような場面も数知れず。

 

ボーイフレンドが一度、あまりのいびきの大きさに
「怪獣飼ってるの?」と冗談を言った際、
あまりの恥ずかしさに「ううん、お父さん」と言ってしまったのを覚えています。
本当は、「お母さん」だったのですが(笑)

 

そんなわけで、

「自分の個室」への憧れはすごくありました。

 

それで大学卒業後、就職して1年ほどしたときに、

「ひとり暮らし」をしてみたい、と思い立ちます。
親は最初は「必要ない」と取り合ってくれませんでしたが、

諦めずに交渉するうちに、「遠くでなければいいよ」という許可を得ることが出来ました。

 

喜んだ私は早速部屋探しを始めました。
そして当時勤めていた会社から近く、

実家の最寄駅からも準急で10分、駅から1分という好立地の物件を探し当てます。しかも新築!

 

「いいとこ見つかったよ!」
母に報告したときのことを私は今でも覚えています。

 

駅の名前を告げると母は、突如泣き崩れたのです。
「そんな遠くへ行ってしまうなんて・・・」

 

私はあまりの予想外の母の反応に驚いてしまいました。
準急で10分だよ?近いよ?

けれど結局、サメザメと泣き続ける母に私は言いました。
「いいよ、いいよ、そんなに嫌ならそこはやめるよ。泣かしてまで出ていこうとしているわけじゃないんだから。」

 

すると翌日、母が私に言いました。
「いい物件見つけたの。一緒に見に行きましょう。」

 

実家を仲介してくれていた不動産屋さんに早速探してもらったとのこと。

行くとそこは実家から徒歩2分。
築25年の古いアパート。家賃は私が見つけた新築と同じ8万円。

 

でも、とにかく自分の部屋がほしかった私は、そこでもいいと思いました。
自分で一生懸命探した部屋が没になって、もう疲れていた、というのもありました。
で、契約。

 

こうして23歳にして人生初の「ひとり暮らし」が始まったのです。

その部屋は

ちょうど実家と通勤に使っていた駅との間にあったので、

会社が終わると私は当然自分部屋に帰るのですが、

帰宅するとすぐに電話が入ります。

 

「もしもし、夕御飯食べに来なよ。」

2分で行ってご飯を食べて、ついでにお風呂も入ってから、自分の部屋に帰る。

 

あるいは今日は行かないでおこう、と夕飯を済ませて部屋に帰ると
「もしもし、夕御飯食べに来なよ。」
今日はもう食べたからいいわ。
「じゃ、お風呂入りに来なよ。」

2分で行ってお風呂入って、自分の部屋に帰る。

 

の、繰り返し。

 

すごいのはそれだけではありません。
親は私の部屋の鍵をもっていて

(それがひとり暮らしを許可する条件になっていた)、

私にアポなしでいつでも入れたので、

週に3、4回位は冷蔵庫に勝手に何か補充されていたし、

散らかしていると片付けてあったりしました。

 

もうこうなると、何のための月8万円の部屋なのか?
今の私にはちっともわかりません(笑)

 

20万円ちょっとの給料からの家賃はかなり厳しかった。

人生で一番お金がなかった時期でした。

 

が、一番怖い点は、

当時の私がそんなひとり暮らしの状態に、

多少の煩わしさは感じても、

根元的には何の疑問も抱いていなかった、ということです(笑)

 

※それについてはまた別の機会にお話しましょう。

 

そんな私のひとり暮らしは、

父の急死をきっかけに、わずか10ヶ月で終止符を打ちました。

24歳のときです。

ひとりになった母の元に戻ったのです。

 

と言っても、どうせ徒歩2分だし、毎日のように帰っていたのですがね(笑)

あの10ヶ月は、ないよりあってよかったと思います。いろんな意味で。

 

でも、本当は、もっと自由にひとりで暮らしてみたかったのかもしれませんね。

そうやって、満たされなかったことに、人は何となく執着するものです。

 

私のひとり暮らしも、そんな思いかもしれません。

思いが満たされたら、執着は消えてゆきますから、

こうやって時々訪れるひとり生活のチャンスを、

大切に味わって行きたいと思います。

家族と仲良く一緒に暮らせる幸せに感謝しつつ。

 

あなたの、満たされなかった思いは何ですか?

 

今日も最後まででお読みくださってありがとうございます。