きちんとの呪文

内なる子供を癒して、とらわれの人生からの脱出!インナーチャイルド心理セラピスト ふるたてひろこ です。

 

このお話は 

前回の記事「きちんと」ってどんなこと? の続きです。

 

そんな風に
しばしば大人は子供に

 

「きちんとしなさい」

「ちゃんとしないさい」

 

という言葉を投げかけます。

 

きちんときちんときちんときちんと・・・・

ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんと・・・

 

う~ん、呪文っぽい。

 

で、
きちんと、ってどういうことでしょうね?

ちゃんと、って具体的にはどうすればいいの?

 

・・・・・

お気づきでしょうか?

 

きちんと、も
ちゃんと、も

 

その言葉自体には
実体がない、ということに。

 

きちんと、も
ちゃんと、も

 

その言葉を発しているその人の
価値観どおりに、

という意味なのです。

 

私が子供の頃、
母によく言われていた言葉があります。

「お金のことはきちんとしなさい」

・・・

 

どういう意味か分かりますか?

 

言葉だけみたら、
分らないと思いますが。

「お金のことはきちんとしなさい」

私の母が意図したのは

 

・お金の貸し借りは出来るだけしない

・やむを得ず借りたらすぐに返す

・お遣いにいったらおつりはすぐに正確に返す

 

そんなことでした。

 

つまり言葉を変えるなら
「お金にルーズであってはいけない」
ということでしょうか。

 

まあ、間違ったことは何も言っていないし、
何の害もなさそうですよね、一見。

 

ところが、
そう言われ続けて育った私が
大学生になったとき

ひとつ困ったことに気づきました。

 

ボーイフレンドに食事をご馳走してもらう、ということが
出来ない自分に気づいたのです。

 

学生ですから、
基本的には 割り勘 なんですが、

 

まあ時折、
男子としては
彼女におごってあげたくなるときもあるようで

 

「今日は僕がおごってあげるよ 」

なんて言ってくれたりするわけです。

 

今の私なら

「まあ ありがとう ご馳走様 」
ってありがたくご馳走になれますが、

 

当時の私は、というと

「いーえ、結構です」
と断り続けていました。

 

それもそのはず、
幼少期から、

・出来るだけ借りは作らないように

と教え込まれているわけですから当然です。

 

食事をおごられることを
頑なに拒否し続ける私に

ある日彼が 怒りをあらわにしました。

 

「そんなに俺におごられるのが嫌なの?かえって気分が悪いよ」
と。

 

そう言われて私は、
初めて 「借りを作らない」ことが
必ずしも 正義 ではない、と知りました。

 

こうして自らの体験から、私は 
時に人の好意をありがたく受け取って借りを作ることもよし、
と学ぶに至りました。

 

母からもらった価値観を書き換えた瞬間でした。

 

そういえば母は
ご近所さんから何か差し入れももらっても、
怖いもののように

速攻で何かをお返しする人でした。

 

あれだって、今から思えば、

 

もうちょっとタイミングを見て、
自然にお返しした方が、
ご近所さんだって気持ちがよかったんじゃないかしら?

 

って思ったり。

 

でも、それが私の母の価値観にそった行動だったのです。
・借りを作ってはいけない
という価値観。

 

こんな風に、
親は子供に

 

きちんと、とか
ちゃんと、という漠然とした言葉を使って

 

自分の価値観を
しっかりと押し付けることが出来るのです

 

「しつけはおしつけ」

 

私が学んだカウンセリング学校の先生の言葉です。

う~ん、うまい!

 

ゲシュタルト療法を教えてくれた師は

「教育は呪いだ」
とおっしゃいました

 

ちょっと過激な言葉ではありますが、
時折そんな言葉たちを思い出しながら、

 

自分がしつけと称して子供たちにしていることが
単なる自分の価値観の押しつけになってはいないか

しばしば考えてみる三児の母なのでした。

 

きちんと、
ちゃんと、

 

って育てられた人ほど、

 

自分が親になったときに、
子供に

 

きちんと、
ちゃんと、

 

って言ってしまいがち。

 

だって、
自分自身が、

 

きちんと、ちゃんとの 呪縛にかけられているから。

 

きちんと、ちゃんとの呪文、
唱えていませんか

今日も最後までお読みくださってありがとうございました。