人に傷つけられたという思いから抜け出すには?【第ニ段階】
こんにちは、心理療法家&講師のふるたてひろこです。
この記事は、前回の記事「人に傷つけられたという思いから抜け出すには?【第一段階】」の続きです。
第一段階をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。
第二段階 被害者をやめる
第一段階を経ることで、次第に気持ちが前に向き始めます。
傷ついた感情に共感的に寄り添われたことにより、「気が済む」という感覚が広がり始めています。
やがて、過去への囚われが弱まり、意識が「これから」に向かい始めるのです。
ここで、ようやく次の第二段階に進むことが出来ます。
ここでいつまでも「気が済む」感覚が得られない場合は、第一段階が不十分か、または何らかの転移(そもそもこの出来事が、もっと昔に起きた別の出来事を映し出している)が起きている可能性があります。
いずれにせよ、適切な対処の出来る心理療法家などの専門家に相談してください。
ここでは第二段階に進みます。
「これから先も、このままの気持ちで生きていきたいのか?」
と自分に尋ねます。
「このままの気持ち」とは、「自分が傷つけられた」「可哀想な(気の毒な)」「被害者」である、という気持ち、です。
逆の言い方をすれば、「相手が自分を傷つけた」「ひどい」「加害者」である、という気持ちとも言えます。
この気持ちは、第一段階においては、顕在的にせよ、潜在的にせよ、「傷つけられた」という表現を採用している以上必ずあったものです。
が、実はこの「自分=被害者」という意識を持ち続けたまま、痛みから抜け出すことは極めて困難です。
自分が自分を「被害者」とみなしている間中、被害が止むことはありません。
前述の私の別記事に則れば、「被害者」と思ったこと自体が錯覚の場合もありますし、またあるケースでは、被害は実際にあったのかもしれません。
しかし、いずれのケースにおいても、「前を向いて歩く」とは、出来るだけ速やかに被害を終わらせることです。
そして「被害を終わらせる」とは、「自らが被害者の立場を抜け出す」ことでもあります。
ここで大切なのは、「被害者の立場を抜け出す」のは、自らの能動的な意志であり、「相手が加害をやめる」のを待つ受動的な行為ではない、というこです。
いや、そもそも、「あの時言われた一言に傷つけられた」というようなケースの場合、仮にそれを加害だとしても、加害はその時一度きりで、継続していません。
「その言葉に傷つけられた」と主張し続ける自分が、自分をずっと傷つけ続けることになるのです。
わかりますか?
終わらせないことによって、自分が自分を被害者にし続け、傷つけ続けているのです。
このようなことをしてしまう背景には、「復讐心」があります。
もちろん無意識のことが多いのですが、自分を傷つけた(と思っている)相手への復讐のために、自分自身を不幸にし続ける、ということがしばしば起こります。
自分も相手も不幸にする、誰をも幸せにしない、不毛な行為ですが、こうしたことが、人の心理には起こり得ます。
また、意外なことですが、被害者の立場にには利点もあるのです。
相手を責め続けることで、自分の取り組むべきことから逃避出来る、すなわち、自分の人生の責任を自分で引き受けずに人のせいに出来るという点です。
ただ一見利点にも見えるこの点は、実は自分の人生が人任せで自分のコントロール外に置かれるという、途方もない欠点とペアなのですが。
第二段階では、この不毛な愚かしさに気づいて、
「自分を被害者にし続けることを止める」
と決断するこです。
一方的に傷つけられてしまった可哀想な私。被害者の私。
この悲劇の人生脚本から抜け出すこと。
それをやめるには、逆説的なようですが、被害者に甘んじていた自分の弱さを認め、否定せず、けれどもうそこには居続けないぞと決めるのです。
それは無力で弱々しい、被害者の私からの卒業です。
何人たりとも、私の許可なく、私を傷つけることなど出来ない、という、自己の尊厳を取り戻す瞬間です。
誰かの言葉一つで、あなたに傷をつけることなど、出来ないのですよ。
それを思い出します。
長くなりましたので、第三段階は次に続きます。
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。