人に傷つけられたという思いから抜け出すには?【第三段階】
こんにちは、心理療法家&講師のふるたてひろこです。
この記事は、前回の記事「人に傷つけられたという思いから抜け出すには?【第ニ段階】」の続きです。
第ニ段階をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。
第三段階 その体験を再認識する
「被害者の立場から卒業する。」
と決めたあなただけが、次の第三段階に進むことが出来ます。
ここで念のために言っておきますが、第一・第二段階を飛ばして、この段階にチャレンジすることは無駄、もしくは害になるのでやめてくださいね。
必ず、順番に進みます。
被害者をやめるということは、「加害も被害もない世界に移行する」ということ。
そう、この最終段階は、これまでとは違う新しい世界に引っ越すことになります。
そこでは今までの価値観は通用しません。
「加害」と「被害」という一対の概念ではない、全く別の視点で出来事を捉え直す必要があります。
正直これはなかなか難易度が高いことかもしれません。
思考の枠組みを広げる必要があるからです。
このためには、日頃から自分とは異なる考え方や世界観を持った人と触れ合うことが役立ちますが、急いでいるときには、専門家の力を借りるのが堅実かもれません。
ここで役立つ自分への質問はこうです。
「客観的第三者の視点から両者を眺めた時に、そこで起きた事実は何だろうか?」
自分の解釈を抜きにして、事実を抽出します。
更に、次の質問をします。
「私はここからどんなことを学ぶことが出来ただろうか?」
「私はここからどんなギフトを受け取ることが出来るだろうか?」
人生で経験するすべてのことから学ぶことが出来るとしたら?
あらゆる試練や課題の下にはギフトが隠されているとしたら?
という視点です。
それでも時には、どうしても、何も思い浮かばないということもあるかもしれません。
その時は、わからないままに、けれど否定せずに保留します。
それは「自分の人生に畏敬の念を示す」ということでもあります。
人生の全てを好きなようにコントロール出来る、あるいは、人生の全てを今の自分が理解出来ると思うこと自体が傲慢かもしれない、という視点を持ちます。
いつの日か、わかる日が来るかもしれない、という可能性に自分を開きます。
今の自分の狭い観念の中に出来事を押し込めるのをやめて、広い世界に開くのです。
そして、こう言ってみます。
「あれはあれでよかったのだ。」
どんな感じがするでしょうか?
最初は、心の底からそうは思えないかもしれません。
でも、それでもいいからこう言います。
「あれはあれでよかったのだ。」
やがていつか、そうだな、と思える日を待つのです。
後悔も恨みもない、過去のすべてを洗い流し、あなたの心に穏やかさを取り戻してくれる言葉です。
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。