撲滅運動はしないでほしいのです
「インナーチャイルドを癒す7日間メールレッスン」の感想をたまに頂きます。
その時に
「過去にインナーチャイルドワークはしたことがあり、もう大丈夫だと思っていたのに、まだいました!」
という感じの言葉を見かけることがあります。
そこからは半端ない残念感が漂って来ることがあります。
そうすると私は、
「ああ、まだまだ私は大切なことを伝えられていないんだな」
と思います。
「もっと丁寧に、インナーチャイルドの癒しについてお伝えしてよかないと」
と反省するわけです。
どういうことか?
インナーチャイルドって
「まだいた!」
というものではないんです。
「まだいた!」
という言葉の背後には、
「早くいなくなってほしい」
「見るのも嫌」
というのが隠れているような気がするのです。
そりゃあ、インナーチャイルドの記憶が辛かったり悲しかったりするものの場合、
見るのは嫌だし、早くなくなってほしい気持ちもわかります。
でもね、
インナーチャイルドって、そもそも何でインナーチャイルドという擬人化表現を使っているかと言ったら、
過去の記憶を、まるでそこに小さな子供がいるかのように、思いやりと慈しみの気持ちをもって接することが、癒しを最大限に促進するからなのてす。
「早くいなくなってほしい」
「見るのも嫌」
という態度には、
思いやりと慈しみの心は表されているでしょうか?
ちょっと想像してみてください。
自分の存在が、誰かに
「早くいなくなってほしい」
「見るのも嫌」
って思われるところを。
悲しくなるだろうな、って思うのです。
だから、もしインナーチャイルドワークが、
「好きなだけ言い分聞いてあげるから、出来るだけ早くいなくなってほしい」
となっていたら・・・
それは、言葉は悪いけれど、
「インナーチャイルド撲滅運動」みたいなニュアンスを含んでしまうと思うのです。
撲滅されそうになったら、必死で生き延びようとしますよね、むしろ。
だから、インナーチャイルドワークをする時の姿勢は、
「早くいなくなってほしい」
「見るのも嫌」
ではなく、
(あなたがどんな様子であっても)
「ずっとそこにいていいよ」
「ずっと見ているから」
だと思うのです。
「泣いているあなたを、辛そうにしているあなたを
ただそのままずっと見ているよ。
いつかあなたが自然に笑顔を見せるまで。」
そんな気持ちで寄り添えるようになったら、インナーチャイルドが癒される日も遠くないでしょう。
あなたがインナーチャイルドにそんな風に寄り添うお手伝いをしています。
今日も最後までお読みくださってありがとうございました。